車両
2022.09.16更新
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車掌室設置前/1952.--.---高速車両工場

車掌室設置後/1952.11.21-長居検車場

概 要

 大阪市電気局(交通局)100形車両(初代)は、日本初の公営地下鉄として1933(昭和8)年5月30日に開業した大阪市営地下鉄御堂筋線用に製造された車両である。この車両の設計に先立ち車両技術者を欧米に派遣して調査・研究、当時の地下鉄先進都市の最新技術を取り入れて設計された。1957(昭和32)年に登場する1100形が後に100形に改称されることから、1933(昭和8)年に登場した100形は「100形(初代)」や「旧100形」などと称されることが多い。

保存車の105号車

 大阪市営地下鉄初の車両となった100形は、101~104号車は川崎車輌、105・106号車は田中車輌、107・108号車は日本車輌、109・110号車は汽車会社で製造され、全車が開業を控えた1933(昭和8)年5月に竣工した。車体長17m、車体幅2.8mで両側に運転台を持ち、先に開業していた東京地下鉄道1000形車両と比べて一回り大きい構造となっている。当初は単行運転であるにもかかわらず増結運転を想定して車両正面に安全畳垣(連結面転落防止柵のようなもの)を設置、1500V昇圧を目指して1/2の750Vを採用し昇圧が簡単に行えるよう工夫されていたり、輸送量が増加して増結が必要になった際には第1・4軸に搭載されている主電動機を第2・3軸にも追加搭載し、T車を増結することで制御装置を少なくできる利点を考えていたりと、様々な面で将来を考慮した設計となっている。

 様々な改造が施され長らく使用されてきた100形であったが、御堂筋線では1970(昭和45)年の日本万国博覧会(大阪万博)の開催を控えて輸送量増強とATC化が進められることなった。1968(昭和43)年8月29日~1970(昭和45)年2月にかけ、順次シルバーカーと呼ばれた4扉車の30系に統一されることになり、100形から1000形までの旧型車が置き換えられることになった。そのうち100形については、車掌室未設置で蛍光灯化改造が行われずに比較的原型を保っていた105号車が保存されることになり、105号車を除く全車が1969(昭和44)年8月に廃車となった。105号車についてはしばらく除籍されずにいたが、1972(昭和47)年に除籍されて100形は形式消滅した。

大阪歴史博物館にある100形の模型

 100形の保存に際しては、その頃に路面電車(市電)廃止で活躍してきた車両を残そうと発足した「路面電車保存委員会」が保存車両を検討していた時に100形の廃車が決定、開業時の地下鉄車両も保存しようということになった経緯がある。105号車は最後に所属していた我孫子検車場に隣接する我孫子車両工場にて、旧塗装への塗り替え・尾灯の1灯化などの製造当初の姿への復元作業が行われた後、当時朝潮橋にあった交通局検修所に非公開で保存されていた。交通局検修所が中百舌鳥に移転した際、105号車は緑木検車場に設けられた保存庫内で保存されることになり、現在は毎年11月に一般公開される。その他、NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」での大阪大空襲の戦火から地下鉄で逃れるというシーンの撮影に使用されたこと、2013(平成25)年の大阪市営地下鉄開業80周年の際には、淀屋橋まで陸送され大阪市役所正面玄関前に展示されたことがある。なおこの105号車は2005(平成17)年に大阪市指定文化財となっている。このほか谷町四丁目駅最寄りの大阪歴史博物館内に淀屋橋駅を再現したコーナーがあり、そこに100形の等身大模型が展示されている。

外 観

100形外観

 車体寸法は、車体長17m、車体幅2.8mで先に開業していた東京地下鉄道の1000形車両より大きくなっている。寸法を決めるに当たっては将来の大量かつ迅速な輸送能力を前提とし、長大編成(最大12両)で高速度運転が可能なこと、及び隧道構築費を増大させないよう必要以上の大きさにしないことという条件のもと決定された。1933(昭和8)年当時は木造車や半鋼製が主流であったが、地下を走行することから火災対策で全鋼製を採用。木製は窓枠だけと、可燃物は極力採用しなかった。屋根・外板は含銅鋼板(錆対策をした鋼板)を使用、リベット締めで組み立てられた。側面窓は上下2枚で下窓固定の上窓下降式であり、旅客が立ったままでも容易に駅名を読めるよう大きく設計された。塗装は窓下部を境に上部は淡黄色、下部は紺色、扉・屋根部は銀色と塗り分けたもので、以後の1100形(後の2代目100形)までこの塗装が使用された。塗装色は京都帝国大学(現・京都大学)武田五一教授に委嘱して検討され、市電1601形10両を使用して試験塗装を施した上で決定されたものである。戦後は新造車(1200形以降)の塗装に合わせて100形についても上部はアイボリー、下部はオレンジに塗色変更された。

 車体側面は、片開き式3扉で上述のとおり側面窓は上下2枚で下窓固定の上窓下降式、5連2段式窓である。乗務員扉は運転台の片側密閉式のため1ヶ所であったが、後の車掌室設置改造により106~110号車は2ヶ所になった。上部には方向板と扉の開閉を知らせる側灯が設置されている。

 車体前頭部は、中央に貫通口を設けた左右対称型である。前照灯は中央屋根部に1灯式で設置され、尾灯は腰部貫通口左側に1灯式で設置された。後に尾灯は両側窓上に2灯式として設置された。貫通口の窓下には行先表示板が取り付けられている。両端には車両間のすき間への旅客転落を防ぐための安全畳垣が設置されており、これは将来の連結運転を想定してニューヨーク地下鉄などを参考にしたと言われている。廃車まで標準装備として設置され、以降600形までは採用された。

旧型密着連結器

旧型密着連結器

尾灯

尾灯

行先表示版

行先表示板

車 内

車内案内表示装置の先駆け

 車内は、火災対策が徹底され内張りには塗装鋼板を使用、天井は白色、天井押面は白銀色、側壁はグレーがかった藤色とした。床面はキーストンプレートの上に茶色のコンベスを塗装、そこに防音用のフェルトが張られている。座席はロングシート仕様で座席モケットの表地は柄なしの鶯茶色であった。座席袖部と扉付近の中央部には混雑を想定してスタンションポールが設置、つり革は座席前のみの設置である。大きく設計した側面窓は安全のため下窓固定の上窓下降式で、運行区間が短かく近距離移動のみとの想定から荷棚は設けられなかった。照明は照明度の均一化を図るため、乳白色グローブ付白熱灯が2列配置で合計12灯設置された。運転室は客室面積を大きく採ろうとしたことから、車掌室部分を客室とした半室運転台を採用、車両右端部まで座席があった。車掌は客室内で扉横に設置されたドアスイッチを操作、閉操作は「他扉閉」ボタンで車掌が立っている以外の扉を閉め、最後に「自扉閉」ボタンで閉める方式で、開操作は「開」ボタンのみで全扉開となる。のちに車掌室設置改造されるまでこの方式であった。節桁部には駅名表示器を設置、これは現在の車内案内表示装置の先駆けと言えるもので、全駅名を横に配列し、モーターで動く照明が次駅名を照らして案内するというものであった。しかし連結された状態では特に誤動作や故障が多く、車内放送設備が整備されたこともあり、のちに撤去された。

台 車

AS-1

 台車は、一体鋳鋼製揺れ枕イコライザー式台車「KS-63L(局内名称AS-1)」が採用された。当時組み立て式台車が主流であった中鋳鋼製台枠を採用、重量は大きいが、安全性に優れたものである。

 台車の釣り合い梁には、絶縁用の桜の木材と集電装置(集電靴)が設置された。集電方式は第三軌条上面接触式が採用され、ニューヨーク地下鉄で使用されていたGE社製集電装置を参考に設計された。

主要諸元表

形式 100
車種 Mc
車体構造
自重〔t〕 40.0
定員(座席定員)〔人〕 120(48)
車体長〔mm〕 17,700
車体幅〔mm〕 2,890
車体高〔mm〕 3,650
制御方式 抵抗制御
制御装置 ES-512A <東洋>
主電動機

●:SE-146

  170kw 2個/両
駆動方式

●:吊掛

  歯車比 64:21
連結装置

●:旧型密着
電動発電機

●:HG-377Ar
空気圧縮機

●:D-3-N
集電装置

●:TC-3

  第三軌条上面接触式
制動装置 AMU自動空気ブレーキ

HSC電磁直通空気ブレーキ(改造後)
台車形式 AS-1(KS-63L)
最高速度 70km/h
加速度 2.6km/h/s
減速度 3.0km/h/s(常用最大) 5.0km/h/s(非常)
集電方式 / 電圧 第三軌条集電方式 / 直流750V
走行路線 大阪市交通局御堂筋線(新大阪~我孫子)
最終配置 我孫子検車場

車両履歴表

編成表

(←新大阪 あびこ→)
竣工日 製造所 幌取付け 車掌室設置 塗色変更 車内蛍光灯化 電磁直通

ブレーキ化
スピードアップ

改造
廃車
101 1933.05.05 川車 1952.06.20 1959.06.20 1960.01.08 1960.01.08 1964.01.28 1969.08.15
102 1933.05.05 川車 1952.05.23 1959.07.03 1959.12.29 1959.12.30 1964.01.21 1969.08.15
103 1933.05.05 川車 1952.04.08 1959.11.07 1962.02.07 1960.03.24 1963.12.27 1969.08.15
104 1933.05.05 川車 1952.05.31 1959.07.29 1959.10.19 1960.04.02 1964.01.18 1969.08.15
105 1933.05.05 田中 1952.04.12 1959.07.17 1960.04.07 1964.02.26 1972.03.17
106 1933.05.05 田中 1952.05.04 1959.06.30 1959.06.30 1959.07.06 1960.04.12 1964.02.05 1969.08.30
107 1933.05.05 日車 1952.04.22 1959.03.31 1959.03.31 1959.03.31 1960.03.29 1964.02.05 1969.08.30
108 1933.05.05 日車 1952.05.15 1957.08.15 1959.08.04 1959.11.13 1959.11.16 1964.02.13 1969.08.30
109 1933.05.05 汽車 1957.08.21 1959.07.23 1960.04.13 1964.03.30 1969.08.30
110 1933.05.05 汽車 1952.06.28 1956.09.20 1959.08.10 1960.04.21 1964.03.31 1969.08.30