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2014.10.25更新
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100形(初代) - 御堂筋線
100形(初代) <拡大可> 2008年に取り付けられた看板 <拡大可>
100形(初代)/2007.11.11-緑木検車場 2008年に取り付けられた看板/2008.11.09-緑木検車場
概要

 大阪市交通局100形車両は、日本初の公営地下鉄として1933(昭和08)年5月30日に開業した大阪市営地下鉄の御堂筋線用に製造された車両である。この車両の設計に先立ち、車両技術者を欧米に派遣し、調査・研究して当時の最新技術を導入して設計された。車両の搬入は、通常は地上に設けた車庫などに搬入されるが、御堂筋線の開通区間は全地下区間であったため、車両は製造元から大阪駅へ甲種輸送された後、人・トラクター・牛の力により淀屋橋−本町間に設けた搬入口より直接地下へ搬入された。

100形 <拡大可> 大阪市営地下鉄初の車両100形は、101〜104号車は川崎車輌、105・106号車は田中車輌、107・108号車は日本車輌、109・110号車は汽車会社で製造され、全車が開業を控えた1933(昭和08)年05月18日に竣工した。車体長17m、車体幅2.8mで両側に運転台を持ち、先に開業していた東京地下鉄道の1000形車両と比べて一回り大きい構造となっている。また、100形は単行運転であるもかかわらず、将来の増結運転を想定して車両正面に安全畳垣(連結面転落防止柵のようなもの)が取り付けられていた。

 地下鉄開業時から活躍していた100形であるが、貫通口幌取付けや尾灯の上部2灯化・車掌室の設置・塗色変更・車内蛍光灯化・電磁直通ブレーキ化・スピードアップ改造など、さまざまな改造が施された。

 1970(昭和45)年の日本万国博覧会(大阪万博)の開催を控え、御堂筋線では輸送量増強とATC化が進められることとなり、1968(昭和43)年8月29日〜1970(昭和45)年2月にかけ、順次シルバーカーと呼ばれた4扉車の30系に統一されることになり、100形を含めた旧型車が置き換えられることになった。100形については、車掌室未設置で蛍光灯化改造が行われずに比較的原型を保っていた105号車が保存されることになり、105号車を除く全車が1969(昭和44)年8月に廃車となった。105号車についてはしばらく除籍されずにいたが、1972(昭和47)年に除籍され、100形は消滅した。

 保存車に選ばれた105号車は、最後に所属していた我孫子検車場に隣接する我孫子車両工場にて、旧塗装への塗り替え・尾灯の1灯化などの復元作業が行われた後、朝潮橋に在った交通局検修所に保存されていた。後に交通局検修所が中百舌鳥に移転し、105号車は緑木検車場に設けられた保存庫内に保存されており、毎年11月には一般公開される。なお、この105号車は大阪市指定文化財となっている。
外観

100形外観 <拡大可> 車体は、車体長17m、車体幅2.8mで先に開業していた東京地下鉄道の1000形車両より大きくなっている。塗装は、市電1601形10両を使用して試験塗装を施した上で決定されたもので、窓下部を境に上部は淡黄色、下部は紺色、扉・屋根部は銀色と塗り分けたもので、以後の1100形(後の2代目100形)までこの塗装が使用された。戦後、塗装は新造車に合わせて上部はクリーム色、下部は橙色に塗色変更された。

 車体側面は、片開き式3扉で側面窓は5連2段式窓である。乗務員扉は運転台の片側密閉式のため1ヶ所であったが、車掌室設置後は2ヶ所になった。

 車体前頭部は、中央に貫通口を設けた左右対称型である。前照灯は中央屋根部に1灯式で設置され、尾灯は腰部貫通口左側に1灯式で設置された。後に尾灯は、両側窓上に2灯式として設置された。貫通口の窓下には行先表示板が取り付けられている。また、両端には安全畳垣が設置されており、これは廃車まで標準装備として設置されていた。
市交旧型密着連結器 <拡大可>
市交旧型密着連結器
尾灯 <拡大可>
尾灯
行先表示板 <拡大可>
行先表示板
車内

車内案内表示装置の先駆け <拡大可> 車内は、ロングシート使用で、座席モケットの表地は柄なしの灰色であった。座席中央部と扉部中央には、混雑を想定してポールが設置された。照明は、照明度の均一化を図るため、グローブ付白熱灯が2列配置で合計12灯設置された。つり革は座席部のみで、扉部には設置されていなかった。運転室は客室面積を大きく採ろうとしたことから、車掌室部分を客室とした片側密閉式を採用した。そのため後の車掌室設置まで、車両右端部まで座席があった。側面窓は、荷棚を設けないで大きく設計されており、駅名がよく見えるように考慮されていた。荷棚を設けなかったのは、これは乗客は近距離移動が多いと考えられていたためである。また、車内には駅名表示器が設置されていた。これは、現在の車内案内表示装置の先駆けと言えるもので、全駅名を横に配列し、モーターで動く照明が次駅名を照らして案内するというものであったが、故障が多く車内放送が整備されたことから不要となり、後に撤去された。
100形運転台 <拡大可>
100形運転台
台車

AS-1 <拡大可> 台車は、一体鋳鋼製2軸ボディー両側釣合ばね式台車が採用された。
主要諸元表
形式 100
車種 Mc
車体構造
自重〔t〕 40.0
定員(座席定員)〔人〕 120(48)
車体長〔mm〕 17,700
車体幅〔mm〕 2,890
車体高〔mm〕 3,650
制御方式 総括制御自動加減速電動機操作カム軸式
制御装置 ES-512A <東洋>
主電動機
●:170kw 2個/両
駆動方式
●:吊掛
  歯車比 64:21
吊掛
連結装置
●:市交旧型密着
市交旧型密着 市交旧型密着
電動発電機
●:HG-377ar
HG-377Ar
集電装置
▼:TC-3
  第三軌条上面接触式
制動装置 AMU 自動空気ブレーキ
台車形式 AS-1 (KS-63L)
最高速度 70km/h
加速度 2.6km/h/s
減速度 3.0km/h/s
集電方式/電圧 第三軌条集電方式 / 直流750V
走行路線 大阪市交通局御堂筋線(新大阪〜あびこ)
最終配置 我孫子検車場
車両履歴表
編成表
〔←新大阪 あびこ→〕
竣工日 製造所 幌取付け 車掌室設置 塗色変更 車内蛍光灯化 電磁直通
ブレーキ化
スピードアップ
改造
廃車
101 1933.05.18 川車 1952.06.20 1959.06.20 1960.01.08 1960.01.08 1964.01.28 1969.08.15
102 1933.05.18 川車 1952.05.23 1959.07.03 1959.12.29 1959.12.30 1964.01.21 1969.08.15
103 1933.05.18 川車 1952.04.08 1959.11.07 1962.02.07 1960.03.24 1963.12.27 1969.08.15
104 1933.05.18 川車 1952.05.31 1959.07.29 1959.10.19 1960.04.02 1964.01.18 1969.08.15
105 1933.05.18 田中 1952.04.12 1959.07.17 1960.04.07 1964.02.26 1972.03.17
106 1933.05.18 田中 1952.05.04 1959.06.30 1959.06.30 1959.07.06 1960.04.12 1964.02.05 1969.08.30
107 1933.05.18 日車 1952.04.22 1959.03.31 1959.03.31 1959.03.31 1960.03.29 1964.02.05 1969.08.30
108 1933.05.18 日車 1952.05.15 1957.08.15 1959.08.04 1959.11.13 1959.11.16 1964.02.13 1969.08.30
109 1933.05.18 汽車 1957.08.21 1959.07.23 1960.04.13 1964.03.30 1969.08.30
110 1933.05.18 汽車 1952.06.28 1956.09.20 1959.08.10 1960.04.21 1964.03.31 1969.08.30
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