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路線
2017.04.23更新
ダイヤ改正履歴をデータベースに移転しました。
御堂筋線
概要

御堂筋線10A系 <拡大可> 御堂筋線は、吹田市の江坂から梅田・難波・天王寺などを経て、堺市北区の中百舌鳥までの24.5kmを結ぶ、南北に軸を持つ路線である。正式名称は高速電気軌道第1号線、局内では大阪市高速鉄道第1号線と呼ばれる。愛称の「御堂筋」は、路線が御堂筋の地下を通ることに由来する。ラインカラーは臙脂色(クリムソンレッド:マンセル記号 7.5R3/13)であり、これは大阪市のメインストリートを通り大阪市の大動脈をイメージしたものである。

 2014(平成26)年度中に心斎橋駅・天王寺駅に可動式ホーム柵の設置が予定されている。
路線図
正式名称 高速電気軌道第1号線
局内名称 大阪市高速鉄道第1号線
愛称 御堂筋線 Midosuji Line
開業 1933(昭和08)年05月20日
最終ダイヤ改正 2015(平成27)年03月01日
営業区間 江坂(大阪府吹田市)〜中百舌鳥(大阪府堺市北区)
路線距離/運賃計算キロ 24.5km/24.5km
管轄 江坂〜中百舌鳥 24.5km
大阪市交通局(軌道事業)
指令 輸送指令所
乗務所 中百舌鳥乗務所
相互直通運転 北大阪急行電鉄株式会社
南北線:江坂
(大阪府吹田市)〜千里中央(大阪府豊中市)
駅数 20駅
車両編成 10両編成
最多運用 市交車:37列車
北急車:5列車
使用列車 市交車:10系車両・10A系車両・21系車両・31系車両
北急車:8000形車両・9000形車両
保有車両数 市交:390両(10両×39編成)
北急:80両(10両×8編成)
検車場・車庫 市交:中百舌鳥検車場
北急:桃山台車庫
最高速度 70km/h
軌間 1,435mm
電化方式 直流750V / 第三軌条方式
閉塞方式 自動閉塞式
信号保安装置 WS-ATC・CTC
駅間最長距離 1977m 江坂〜東三国
駅間最短距離 725m 新大阪〜西中島南方
最急勾配 34‰ 我孫子〜北花田
最小曲線半径 119.8m 梅田〜淀屋橋
大動脈・御堂筋線 <拡大可>

淀川を越えると地下にもぐる <拡大可>
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駅番号 駅名 区間キロ 累計キロ ホーム形状 所在地 管区 駅長 連動駅 夜間留置
M08 千里中央 0.0 0.0 1面2線島式ホーム 大阪府豊中市新千里東町1丁目
M09 桃山台 2.0 2.0 1面2線島式ホーム 大阪府吹田市桃山台5丁目
M10 緑地公園 2.0 4.0 2面2線相対式ホーム 大阪府豊中市東寺内町18-1
M11 江坂 1.9 5.9(0.0) 1面2線島式ホーム 大阪府吹田市豊津町 梅田
M12 東三国 2.0 7.9(2.0) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市淀川区東三国1丁目 梅田
M13 新大阪 0.9 8.8(2.9) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市淀川区西中島5丁目 梅田
M14 西中島南方 0.7 9.5(3.6) 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市淀川区西中島1丁目 梅田
M15 中津 1.8 11.3(5.4) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市北区中津1丁目 梅田
M16 梅田 1.0 12.3(6.4) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市北区角田 梅田
M17 淀屋橋 1.3 13.6(7.7) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市中央区北浜3丁目 本町
M18 本町 0.9 14.5(8.6) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市中央区船場中央4丁目 本町
M19 心斎橋 1.0 15.5(9.6) 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目 本町
M20 難波 0.9 16.4(10.5) 2面2線単式ホーム 大阪市中央区難波3丁目 難波
M21 大国町 1.2 17.6(11.7) 2面4線島式ホーム 大阪府大阪市浪速区敷津東3丁目 大国町
M22 動物園前 1.2 18.8(12.9) 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市西成区太子1丁目 堺筋本町
M23 天王寺 1.0 19.8(13.9) 2面3線複合型ホーム 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目 天王寺
M24 昭和町 1.8 21.6(15.7) 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市阿倍野区昭和町1丁目 天王寺
M25 西田辺 1.3 22.9(17.0) 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市阿倍野区西田辺町1丁目 天王寺
M26 長居 1.3 24.2(18.3) 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市住吉区長居東4丁目 天王寺
M27 我孫子 1.2 25.4(19.5) 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市住吉区苅田7丁目 天王寺
M28 北花田 1.9 27.3(21.4) 1面2線島式ホーム 大阪府堺市北区北花田町2丁 天王寺
M29 新金岡 1.6 28.9(23.0) 1面2線島式ホーム 大阪府堺市北区新金岡町1丁 天王寺
M30 中百舌鳥 1.5 30.4(24.5) 1面2線島式ホーム 大阪府堺市北区中百舌鳥町2丁 天王寺

※千里中央・桃山台・緑地公園は北急南北線
※駅長欄◎:管区駅長、○:駅長を表す (北急線内不明)
配線略図

配線略図
建設の経緯

1925(大正14)年 計画路線図 <拡大可> 大阪市高速度交通機関協議会で1925(大正14)年10月に高速鉄道計画を策定、1926(大正15)年3月27日の市議会で都市計画決定された当初の計画では、1号線(御堂筋線)は「豊能郡豊津村榎坂〜東淀川区北川口町〜国有鉄道東海道線大阪駅〜都市計画路線御堂筋〜南海難波駅西端〜都市計画路線難波住吉線〜浪速区市電大国町交差点〜国有鉄道関西線天王寺駅南側〜住吉区西田辺町〜住吉区我孫子町」の、全長19.96kmの路線として計画された。この当時の計画では、榎坂から新淀川南側まで・天王寺から我孫子までは高架での計画であった。この中でも南方〜我孫子間は第1期事業、榎坂〜南方間は第2期事業とされた。1930(昭和5)年1月29日に御堂筋平野町において盛大な起工式を挙行し、梅田〜心斎橋間の建設に着手。梅田・淀屋橋付近の軟弱地盤に悩まされたり、日本初の河底隧道などの難工事を乗り越え、日本初の公営地下鉄として1933(昭和8)年5月20日に梅田(仮駅)〜心斎橋間を開業した。梅田駅は国鉄高架工事や用地買収の遅れのために仮駅として開業、後の1935(昭和10)年10月6日に本駅が使用開始された。初開業区間は雄大な構想に基づいて建設され、梅田・淀屋橋・心斎橋の3駅は天井が高いドーム形状、ホーム延長は最大12両と設計されていた(後に10両対応に計画変更)。初開業に先立つ1933(昭和08)年4月には心斎橋〜難波間の建設に着手。1935(昭和10)年10月30日に心斎橋〜難波間が開業し、“キタ”と“ミナミ”が直結され、地下鉄としての機能を十分に発揮するようになった。難波から南の区間は、道路拡張に伴う用地買収の遅れ・地下埋設物の処理に時間を要し、さらに資金調達が思うようにいかずに遅れていたが、1933(昭和8)年6月に難波〜天王寺間の建設に着手。1938(昭和13)年4月21日に難波〜天王寺間が開業し、梅田・難波・天王寺の各ターミナルを結び、後に大阪の大動脈となる1号線(御堂筋線)の基礎が完成した。その後も第1期事業完遂のため、1938(昭和13)年11月に天王寺〜西田辺間の建設に着手。しかし日中戦争が拡大、建設資材が軍需資材として統制されるなどし、1941(昭和16)年には太平洋戦争が勃発。1943(昭和18)年3月、天王寺駅南約600mの隧道を造ったところで建設中止となった。

1948(昭和23)年 路線改訂 <拡大可> 1948(昭和23)年6月18日に市議会で確定した路線改訂では、南北の交通量が多い大阪の大動脈であった営業区間の7.5kmと特許区間をそのまま採用。北部については将来の情勢によっては豊中市蛍ヶ池方面へ延長することを考慮して計画され、区間は「吹田市大字垂水〜住吉区我孫子町」で19.90kmの路線となったが、大きな経路変更は行われなかった。
 1950(昭和25)年6月17日に中止されていた天王寺〜西田辺間の建設が再開された。この建設中止により、長期間にわたって御堂筋線を中心に発展、御堂筋線が主体の大阪圏交通事情が形作られた。1951(昭和26)年12月20日に天王寺〜昭和町間、1952(昭和27)年10月5日に昭和町〜西田辺間が開業した。
 1958(昭和33)年3月28日の都市交通審議会答申第3号「大阪市およびその周辺における都市交通について」では、1号線の垂水〜南方・西田辺〜我孫子が特に力を注ぐべき路線、垂水〜千里山付近・我孫子〜堺市東部が今後の情勢の変化に対応し、慎重な考慮が必要とされた。
 車庫用地として住吉区我孫子町に戦前土地を取得していたが、一挙に路線を延長して車庫を建設するには当時の財政事情からみて困難であったため、一時的な措置として住吉区西長居町に6両編成対応の検車場を建設して使用していた。しかし年々増加していく輸送需要に対応ために7両編成以上が収容できる車庫建設が急務となり、1958(昭和33)年6月30日に西田辺〜我孫子間の建設に着手。1960(昭和35)年7月1日に西田辺〜我孫子間が開業し、直後に我孫子検車場の使用が開始された。

1963(昭和38)年 基本計画路線 <拡大可>
 1963(昭和38)年3月29日の都市交通審議会答申第7号「大阪市およびその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本計画について」を受けて改訂された基本計画では、御堂筋線は北側の終点を垂水から千里山に変更、南側も中百舌鳥への延長が盛り込まれた。またこの答申に別紙で「大阪市高速鉄道第1号線の輸送限界に対処する方策について」と題する中間決定事項が添付されるほどの混雑度で、1961(昭和36)年には、1958(昭和33)年の都市交通審議会答申第3号で想定した1975(昭和50)年度の輸送量をすでに達成し、7両編成2分30秒間隔でピーク時の最大混雑率は300%と非常に深刻な状況であった。
 東京オリンピックを機に建設される東海道新幹線と接続するため、淀川区宮原町まで延長されることとなり、1962(昭和37)年10月に新大阪〜梅田間の建設に着手。1964(昭和39)9月24日に新幹線の開通に先立って新大阪〜梅田間が開業した。また1965(昭和40)年9月には、万国博覧会が大阪府吹田市の千里丘陵での開催が決定。大阪府が造成している千里ニュータウンの通勤通学の足を確保するために御堂筋線をさらに北進させることになった。大阪府は阪急電鉄へ建設要請を出したり、大阪市による延伸要請も行っていた。大阪市・阪急電鉄ともに消極的で、大阪市としては市費を市域外に使う事に関しての合意や、御堂筋線の延伸に対する財政支援を大阪府が拒んだために大阪市は断念。万博輸送は江坂からバスという案まで浮上した。結局江坂までは大阪市、江坂以北は北大阪急行電鉄が建設・運営し、1号線と相互直通運転を行うことになった。1968(昭和43)年1月4日に江坂〜新大阪間の建設に着手し、1970(昭和45)年2月24日に開業、相互直通運転を開始した。
 1971(昭和46)12月8日の都市交通審議会答申第13号「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網整備増強に関する基本的計画について」では、御堂筋線の輸送力を緊急に最大限まで行うとともに、新規の輸送施設の開発・実用化を早急に実現するように提言された。また、我孫子〜中百舌鳥間が削除され、新たに堺筋線が動物園前から天下茶屋を経由して中百舌鳥まで延伸させる構想が追加された。

1963(昭和38)年 基本計画路線 <拡大可>
 我孫子以南は、都市交通審議会答申第13号で6号線(堺筋線)が動物園前から中百舌鳥までの路線として設定されていたが、御堂筋線は将来的に10両編成化が必要とされており、8両編成が限界の我孫子検車場は拡張できる可能性が無かったことから、大阪府・堺市と協議、御堂筋線を中百舌鳥まで延伸して中百舌鳥付近に車庫を新設することとなった。1980(昭和55)年6月11日に我孫子〜中百舌鳥間の建設に着手し、1982(昭和62)年4月18日に我孫子〜中百舌鳥間が開業、ここで現在の御堂筋線の形となった。
使用車両 >>> 各形式の紹介はこちら

< 現 役 >
 ・ 10系 / 10A系 1976(昭和51)年〜
 ・ 新20系(21系) 1991(平成3)年〜
 ・ 30000系(31系) 2011(平成23)年〜

 ・ 北急8000形 1986(昭和51)年〜
 ・ 北急9000形 2014(平成26)年〜


10系 <拡大可>
10系
10A系 <拡大可>
10A系
新20系(21系) <拡大可>
新20系(21系)
30000系(31系) <拡大可>
30000系(31系)
北急8000形 <拡大可>
北急8000形
北急9000形 <拡大可>
北急9000形


< 過 去 >
 ・ 100形(初代) 1933(昭和8)年〜1969(昭和44)年
 ・ 200形(初代) 1935(昭和10)年〜1969(昭和44)年
 ・ 300形 1938(昭和13)年〜1969(昭和44)年
 ・ 400形 1943(昭和18)年〜1969(昭和44)年
 ・ 500形 1949(昭和24)年〜1969(昭和44)年
 ・ 600形 1951(昭和26)年〜1969(昭和44)年
 ・ 1000形 1953(昭和28)年〜1969(昭和44)年
 ・ 1100形 1957(昭和32)年〜1969(昭和44)年
 ・ 1200形 1958(昭和33)年〜1969(昭和44)年
 ・ 5000形(50系) 1960(昭和35)年〜1969(昭和44)年
 ・ 30系 1968(昭和13)年〜1969(昭和44)年

 ・ 北急7000形 1969(昭和44)年〜1970(昭和45)年
 ・ 北急8000形(初代) 1969(昭和44)年〜1970(昭和45)年
 ・ 北急2000形 1969(昭和44)年〜1993(平成5)年


100形(初代) <拡大可>
100形(初代)
5000形(50系) <拡大可>
5000形(50系)
30系 <拡大可>
30系
北急8000形(初代) <拡大可>
北急8000形(初代)
北急2000形 <拡大可>
北急2000形
ダイヤ

2015(平成27)年03月01日改正 【現行】

2015(平成27)年03月01日改正 2015(平成27)年3月1日改正ダイヤでは、可動式ホーム柵設置による停車時分変更・朝混雑時運転間隔見直しに伴い改正が行われた。これまで朝混雑時に新金岡から我孫子まで回送、我孫子から営業という列車が存在していたが、全て新金岡始発に変更されたため、我孫子始発列車は激減した。上り最終に中百舌鳥発天王寺行きが初めて設定された。平日朝混雑時のみ、運転間隔の変更が行われている。

平日ダイヤ 土休日ダイヤ
早朝 10分00秒 10分00秒
朝混雑時 2分15秒
〜4分30秒
3分00秒
〜6分00秒
昼間 4分00秒
〜8分00秒
3分45秒
〜7分30秒
夕混雑時 2分30秒
〜5分00秒
3分00秒
〜6分00秒
深夜 5分00秒 5分00秒

2013(平成25)年03月23日改正

2013(平成25)年03月23日改正 2013(平成23)年3月23日改正ダイヤでは、終発延長に伴い改正が行われた。なかもず発梅田行き2本が新大阪行きと中津行きに変更され、梅田行きが消滅した。運転間隔の変更はない。

平日ダイヤ 土休日ダイヤ
早朝 10分00秒 10分00秒
朝混雑時 2分00秒
〜4分00秒
3分00秒
〜6分00秒
昼間 4分00秒
〜8分00秒
3分45秒
〜7分30秒
夕混雑時 2分30秒
〜5分00秒
3分00秒
〜6分00秒
深夜 5分00秒 5分00秒
可動式ホーム柵

可動式ホーム柵 <拡大可> 2010(平成22)年度から可動式ホーム柵設置に関する調査を行ってきた。2014(平成26)年2月13日の千日前線可動式ホーム柵設置発表時には、2014(平成26)年度中に御堂筋線の心斎橋駅・天王寺駅設置されることも発表されていた。2015(平成27)年1月7日に心斎橋駅・天王寺駅に設置されることが正式に発表され、使用開始されている。

可動式ホーム柵
駅 名 使用開始日
心 斎 橋 2015.03.01
天王寺(2) 2015.02.01
天王寺(3) 2015.02.08
天王寺(1) 2015.02.14
※( )内の数字は番線
その他

江坂2番線折り返し列車
2番線から折り返す列車 <拡大可> 早朝・深夜には、江坂駅2番線から中百舌鳥方面へ折り返す列車が存在する。2015(平成27)年3月1日改正ダイヤで平日ダイヤ・土休日ダイヤともに1日4本存在しており、早朝1本は回送から、残りは江坂行きからの折り返しとなる。この時は駅の旅客案内表示装置は1番線・2番線ともに「なかもず」表示となるが、先発・次発の表示はなく、自動放送でも案内はない。

梅田行き
梅田行きの旅客案内表示装置 <拡大可> かつて準最終・最終で運転されていた梅田行きは、それぞれ梅田到着後に準最終は中津、最終は新大阪へ回送され留置されていた。これは寝過ごしてしまった場合でも、中津や新大阪より便利な梅田で降車する事で旅客の利便性を図ろうと考えられたものだった。2013(平成25)年3月23日の終発延長に伴うダイヤ改正で、梅田行きはそれぞれ中津・新大阪まで営業化することになり、梅田行きは消滅した。

平日朝混雑時の時刻表
平日朝混雑時の時刻表 <拡大可> 御堂筋線の時刻表で目を引く箇所といえば、平日朝混雑時の7時台・8時台の時間帯で、詳細の時刻は表示いないのが特徴である。ポケット時刻表もこの方式であったが、平成初期に全時刻が掲載されたものに変更された。駅の時刻表は2011(平成23)年頃より全時刻が表示されているものが登場したが、この方式のものも数は減らしているが現在も存在する。

“時刻表に載っていない”最終電車
1972(昭和47)年10月改正ダイヤ <拡大可> かつて御堂筋線には、時刻表に載っていない最終電車が存在した。その名は「新幹用連絡列車」、現在のなかもず行き最終にあたる。この列車に関する資料があまり残っておらず、運行開始時期などは不明。巷では幻の最終電車・幽霊列車などと呼ばれていた。当時の新幹線最終電車で新大阪に到着しても地下鉄の運行は終了していた。それに対応すべく生まれたのが新幹用連絡列車であり、乗車は新大阪駅のみ、西中島南方から先は降車のみで、回送列車扱いとして運行していた。回送列車扱いであったために時刻表には掲載されておらず、幻の最終列車となっていた。1989(平成元)年頃に旅客列車へ変更になったとみられるが、正確な情報は不明。

 右の画像は、1975(昭和50)年03月30日改正の列車運行図表。赤色矢印で示している運番17の列車が新幹用連絡列車で、江坂23:52発、新大阪23:56発、我孫子0:24着となっている。
歴史

1925(大正14)年10月20日 大阪市高速度交通機関協議会で4路線54.48kmの路線が決定
1号線は榎坂〜我孫子の19.96km
1931(昭和06)年04月08日 梅田〜淀屋橋間の建設現場で大事故が発生
1933(昭和08)年05月20日 梅田(仮駅)〜心斎橋間開業
1両運転
1933(昭和08)年06月26日 淀屋橋出張所開設
1934(昭和09)年12月20日 心斎橋駅完成
1935(昭和10)年10月06日 梅田(本駅)完成
1935(昭和10)年10月30日 心斎橋〜難波間開業
2両運転開始
新川出張所開設
1936(昭和11)年02月10日 梅田駅中央部50メートル区間の工事で大崩落事故が発生
1937(昭和12)年04月--日 梅田出張所開設
新川出張所廃止
1938(昭和13)年04月21日 難波〜天王寺間開業
3両運転開始
天王寺出張所開設
1939(昭和14)年10月28日 梅田出張所を拡張し、梅田検車場開設
淀屋橋出張所廃止
1945(昭和20)年06月10日 本町駅を一時閉鎖
1945(昭和20)年10月02日 本町駅営業再開
1947(昭和22)年06月08日 天王寺駅亘り線完成、降車ホーム・乗車ホームを分離
1947(昭和22)年12月01日 高速車両工場開設
天王寺出張所を阿倍野検車場に改称
1948(昭和23)年06月18日 大阪市高速度鉄道協議会第2回総会で高速鉄道5路線76.93km決定
1号線は垂水〜我孫子の19.96km
1950(昭和25)年05月08日 阿倍野検車場開設
旧阿倍野検車場を阿倍野検車場天王寺出張所に改称
梅田検車場廃止
1951(昭和26)年12月20日 天王寺〜昭和町間開業
1952(昭和27)年10月05日 昭和町〜西田辺間開業
1953(昭和28)年08月01日 4両運転開始
1954(昭和29)年12月20日 長居検車場開設
阿倍野検車場天王寺出張所を長居検車場天王寺出張所に改称
阿倍野検車場廃止
1956(昭和31)年08月06日 全国初の冷風換気装置を梅田駅に設置
1957(昭和32)年04月01日 5両運転開始
1960(昭和35)年07月01日 西田辺〜我孫子間開業
7両運転
1960(昭和35)年07月20日 我孫子検車場開設
1962(昭和37)年03月--日 我孫子車両工場開設
※塗装工場は1960(昭和35)年12月に完成済
高速車両工場廃止
1963(昭和38)年06月01日 8両運転開始
1964(昭和39)年09月24日 新大阪〜梅田間開業
1968(昭和43)年08月29日 30系車両営業運転開始
1969(昭和44)年02月01日 全列車30系車両に統一
1969(昭和44)年12月06日 愛称が御堂筋線に決定
1969(昭和44)年12月26日 全線ATC化完了
1970(昭和45)年02月24日 江坂〜新大阪間開業
北大阪急行電鉄南北線・会場線万国博中央口〜江坂間開業、相互直通運転開始
1970(昭和45)年09月14日 北大阪急行電鉄会場線廃止、南北線千里中央駅(本駅)開業
1972(昭和47)年08月11日 高速鉄道第1号線混雑緩和対策委員会を設置
1975(昭和50)年03月30日 北大阪急行電鉄南北線緑地公園駅開業
1976(昭和51)年02月16日 10系試作車両営業運転開始
1979(昭和54)年06月20日 10系車両営業運転開始(冷房車、第三軌条方式では日本初)
1986(昭和61)年06月--日 我孫子車両工場廃止
1986(昭和61)年12月11日 旅客案内表示器にプラズマを採用
1987(昭和62)年03月16日 難波駅上り新ホームの供用開始
1987(昭和62)年04月12日 9両運転開始
1987(昭和62)年04月18日 我孫子〜中百舌鳥間開業
中百舌鳥検車場開設
我孫子検車場廃止
1989(平成元)年11月05日 梅田駅新下りホームの供用開始
1991(平成03)年05月11日 21系車両営業運転開始
1996(平成08)年09月01日 10両編成化完了
2002(平成14)年11月11日 平日初発〜午前9時に6号車に女性専用車両を設置
2004(平成16)年09月06日 女性専用車両の時間を平日終日に変更
2005(平成17)年03月26日 御堂筋線運転指令所から輸送指令所に移転
接近放送などの駅構内放送を更新
2011(平成23)年12月10日 31系車両営業運転開始

著作権