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路線
2017.04.23更新
ダイヤ改正履歴をデータベースに移転しました。
四つ橋線
概要

23系(初期車) <拡大可> 四つ橋線は、大阪市北区の西梅田から本町・難波・大国町などを経て、大阪市住之江区の住之江公園までの11.4kmを結ぶ、南北に軸を持つ路線である。正式名称は高速電気軌道第3号線、局内では大阪市高速鉄道第3号線と呼ばれる。愛称の「四つ橋」は、路線が四つ橋筋の地下を通ることに由来するが、四"ツ"橋線ではなくて四"つ"橋線である。ラインカラーは縹色(ビクトリアブルー:マンセル記号 7.5PB3/9)であり、これは御堂筋線のバイパス的役割を負っているので静脈をイメージしたものである。
路線図
正式名称 高速電気軌道第3号線
局内名称 大阪市高速鉄道第3号線
愛称 四つ橋線 Yotsubashi Line
開業 1942(昭和17)年05月10日
最終ダイヤ改正 2013(平成25)年03月23日
2015(平成27)年03月01日修正
営業区間 西梅田(大阪府大阪市北区)〜住之江公園(大阪府大阪市住之江区)
路線距離/運賃計算キロ 11.4km/11.8km
管轄 西梅田〜住之江公園 11.4km
大阪市交通局(軌道事業)
指令 輸送指令所
乗務所 加賀屋乗務所
駅数 11駅
車両編成 6両編成
最多運用 18列車
使用列車 23系車両
保有車両数 126両(6両×21編成)
検車場・車庫 緑木検車場
最高速度 70km/h
軌間 1,435mm
電化方式 直流750V / 第三軌条方式
閉塞方式 自動閉塞式
信号保安装置 WS-ATC・CTC
駅間最長距離 1670m 北加賀屋〜住之江公園
駅間最短距離 851m 四ツ橋〜なんば
最急勾配 35‰ 北加賀屋〜住之江公園
最小曲線半径 120.7m 玉出〜北加賀屋
静脈をイメージした青の路線カラー <拡大可>

西梅田からニュートラムと接続する住之江公園までを結ぶ <拡大可>
 >>> 各駅の紹介はこちら

駅番号 駅名 区間キロ 累計キロ ホーム形状 所在地 管区 駅長 連動駅 夜間留置
Y11 西梅田 0.0 0.0 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市北区梅田2丁目 大国町
Y12 肥後橋 0.9 0.9 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市西区江戸堀1丁目 大国町
Y13 本町 1.0 1.9 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市中央区船場中央4丁目 大国町
Y14 四ツ橋 1.0 2.9 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市西区北堀江1丁目 大国町
Y15 なんば 0.8 3.7 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市浪速区元町1丁目 難波
Y16 大国町 1.2 4.9 2面4線相対式ホーム 大阪府大阪市浪速区敷津東2丁目 大国町
Y17 花園町 1.3 6.2 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市西成区旭1丁目 大国町
Y18 岸里 1.1 7.3 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市西成区岸里1丁目 大国町
Y19 玉出 1.3 8.6 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市住之江区粉浜西1丁目 大国町
Y20 北加賀屋 1.1 9.7 2面3線複合型ホーム 大阪府大阪市住之江区北加賀屋2丁目 大国町
Y21 住之江公園 1.7 11.4 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市住之江区泉1丁目 大国町

※駅長欄◎:管区駅長、○:駅長を表す
配線略図

配線略図
建設の経緯

1925(大正14)年 計画路線 <拡大可> 大阪市高速度交通機関協議会で1925(大正14)年10月に高速鉄道計画を策定、1926(大正15)年3月27日の市議会で都市計画決定された当初の計画では、3号線(四つ橋線)は「浪速区市電大国町交差点〜都市計画路線難波住吉線〜西成区玉出町南端」の、全長3.72kmの路線として計画された。この当時の計画では、国鉄関西本線南側から玉出では高架での計画であり、全線が第1期事業とされ、梅田・難波・天王寺と都市部を結ぶ1号線の分岐線として計画されていた。当初の運転計画は、1号線内・3号線内完結の運転系統の他に中津〜玉出間のように両線にまたがる運転系統も考えられていた。そのため、大国町駅の配線は当初からこれに対応できるように考慮されていた。
 1933(昭和8)年10月4日に大国町〜国鉄関西本線交差部間、1938(昭和13)年6月15日に国鉄関西本線交差部〜花園町間の建設に着手した。この区間は、当時の不安定な社会情勢・戦争の影響を受け、資金・資材・労働要員調達の問題などから、建設区間を限定して着工したものの、たびたび工事の中止が発生した。国鉄関西本線以南の区間では、資材不足のために函型構造を無筋コンクリートアーチ構造に変更するなどし、着工から9年後の1942(昭和17)年5月10日に単線で開業した。

1948(昭和23)年 路線改訂 <拡大可>
 1948(昭和23)年6月18日に市議会で確定した路線改訂では、基本的には変わらないものの、南海本線に平行近接しすぎるため、今回都市計画の地域計画により重工業地域として指定された住吉区の臨海方面(現在の住之江区)が将来相当発展することが予想されたので、玉出から路線を西に曲げ、尼崎堺線を通り、堺市大浜付近まで延長することになり、区間は「浪速区敷津町2丁目〜堺市大浜通3丁目」で9.54kmの路線となった。
 1942(昭和17)年4月1日には花園町〜岸里間の建設に着手したが、先の区間と同様の問題がこの区間でも発生した。セメント入手が困難となったので、函型隧道を拱型隧道に変更して側壁は粗石コンクリートを打設し、インバート及び拱部は花崗岩の切石積構造に設計変更して構築の形を整え、埋戻しを行って終戦を迎えた。終戦後は1954(昭和29)年11月24日に着手し、拱型隧道を函型隧道に再度変更し、1956(昭和31)年6月1日に開業した。岸里〜玉出間は、当初は花園町〜岸里間とともに戦前に着工する予定であったが、戦争の影響により計画を数回変更し、1958(昭和33)年5月31日に開業した。
 1958(昭和33)年3月28日の都市交通審議会答申第3号「大阪市およびその周辺における都市交通について」以来、産業経済の発展により人口の大都市集中傾向はますます激しくなり、輸送需要の伸びは前回答申時の予想をはるかに上回っていた。一方路面交通事情は自動車の普及により極めて悪化し、交通渋滞が頻発していた。このような背景のもと、1962(昭和37)年6月27日から都市交通審議会大阪部会が開催され、大阪圏の高速鉄道網の再検討がなされた。当時大阪都心の地下鉄は1号線しかなく、その混雑緩和が急務であった。1962(昭和37)年11月22日に都市交通審議会大阪部会は意見をまとめ、1962(昭和37)年12月3日に「大阪市高速鉄道第1号線の輸送限界に対する方策に関する中間決定」が出され、ここで3号線の西梅田〜大国町間の建設が提言された。

1963(昭和38)年 基本計画 <拡大可>
 1963(昭和38)年3月29日の都市交通審議会答申第7号「大阪市およびその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本計画について」を受けて改訂された基本計画では、四つ橋線は北側を西梅田へ延長、南側を大浜から浜寺へ延長することが盛り込まれた。
 西梅田〜大国町間は、御堂筋線の混雑緩和のために建設が急務とされていたためか、異例のスピードで特許を得ることができた。駅の位置は御堂筋線の梅田〜難波間に合わせ、新駅は南から難波元町、四ツ橋、信濃橋、肥後橋、西梅田とした。御堂筋線の混雑緩和を図るには、難波と梅田は既設ターミナルにできるだけ近づけることが望ましかった。難波では、高島屋から賑橋に至る付近に駅を設けたかったが、この区間は阪神高速道路環状線の計画があること、当時高島屋付近に至る道路の幅員が、将来は40mに拡張予定ではあったが、当時は27mであり、用地買収が必要となることから設けることができなかった。そこで難波は、当時建設計画のあった千日前線・近鉄線と阪神線の難波駅・国鉄湊町駅との連絡を考えた、都市計画街路西横堀線(四つ橋筋)の元町小学校から国鉄湊町駅付近に設けることとなった。一方梅田では、国鉄・阪急・阪神との連絡を考えると、大阪駅正面か御堂筋線梅田駅に近づけることが望ましいと考えられた。しかし、技術的に困難である上、大阪駅東口付近に利用客が集中してかえって混雑度が増す恐れもあり、国鉄および阪神の西口に連絡して利用客を分散させたほうが好ましいということになった。また、起点を西梅田とせずに十三方面に延伸するという計画も検討されたが、阪神本線のトンネルを潜ると西梅田駅が非常に深い駅となってしまうこと、梅田付近の地盤が悪いことで工事が非常に困難となって工事費が増加、工期が相当長くなってしまうことから見送られた。そこで梅田では、新阪神ビル前から桜橋交差点付近に設けることとなった。本町〜大国町間は1963(昭和38)年5月12日に、西梅田〜本町間は1963(昭和38)年8月1日に建設に着手し、1965(昭和40)年10月1日に開業した。この延伸の際、大国町駅北側では御堂筋線の上り線と四つ橋線が立体交差するための大改造が行われた。
 1969(昭和44)年4月には玉出〜住之江公園間の建設に着手し、2号線の天六ガス爆発事故の影響で一時工事が中断されたこともあったが、1972(昭和47)年11月9日に開業した。ここで、現在の四つ橋線の形となった。玉出駅から西にカーブする部分では、民地下を通らざるを得なかったため、玉出〜北加賀屋間の一部区間は民地下隧道となっている。

1977(昭和52)年 基本計画 <拡大可>
 1971(昭和46)年12月8日の都市交通審議会答申第13号に基づき、1977(昭和52)年4月1日に高速鉄道計画路線が一部修正された。ここで四つ橋線は北側は十三、南側は大浜までとされた。北側の十三〜西梅田間は、西梅田・十三連絡線として現在も計画がある。一方南側は、1989(平成元)年5月31日の運輸政策審議会第10号からも除外され、2004(平成16)年3月31日に工事施行認可申請期限を迎えたが、大阪市は申請期限延長を申請しなかったため、2004(平成16)年04月1日に住之江公園〜大浜間の軌道特許が失効した。
使用車両 >>> 各形式の紹介はこちら

< 現 役 >
 ・ 新20系(23系) 1990(平成2)年〜

新20系(23系) <拡大可>
新20系(23系)


< 過 去 >
 ・ 400形 1942(昭和17)年〜1969(昭和44)年
 ・ 1000形 1956(昭和31)年〜1971(昭和46)年
 ・ 1100形→100形(2代) 1958(昭和33)年〜1979(昭和54)年
 ・ 1200形→200形(2代) 1958(昭和33)年〜1980(昭和55)年
 ・ 5000形(50系) 1960(昭和35)年〜1980(昭和55)年
 ・ 30系 / 新30系 1972(昭和47)年〜1996(平成8)年


1200形→200形(2代) <拡大可>
1200形→200形(2代)
30系 / 新30系 <拡大可>
30系 / 新30系
ダイヤ

2013(平成25)年03月23日改正、2015(平成27)年03月01日修正 【現行】
2013(平成25)年03月23日改正、2015(平成27)年03月01日修正 2013(平成23)年3月23日改正ダイヤでは、終発延長に伴い改正が行われた。
終発後の住之江公園発北加賀屋行きの回送を西梅田まで区間延長・旅客化した。運転間隔の見直しも行われている。また、2015(平成27)年3月1日には御堂筋線ダイヤ改正に伴い一部修正が行われている。


平日ダイヤ 土休日ダイヤ
早朝 10分00秒 10分00秒
朝混雑時 2分45秒 5分00秒
昼間 6分00秒 7分30秒
夕混雑時 3分30秒 3分30秒
深夜 10分00秒 10分00秒
旅客案内表示装置

旅客案内表示装置 <拡大可> 現在の旅客案内表示装置は3色LED式で、日本語・英語の2か国語に対応している。初期に行灯式から3色LED式に更新されたため、大型の装置となっている。
その他

四つ橋線を走行する御堂筋線・谷町線・中央線・千日前線車両
四つ橋線を走行する31系 <拡大可> 御堂筋線車両の全般・重要部検査が緑木検車場で行われており、検査出場の試運転が四つ橋線で行われるため、四つ橋線を走行する御堂筋線車両を見ることができる。2016(平成28)年2月からは、谷町線・中央線・千日前線車両の全般・重要部検査も緑木検車場で行われるようになったため、四つ橋線を走行する谷町線・中央線・千日前線車両を見ることができるようになった。
歴史

1925(大正14)年10月20日 大阪市高速度交通機関協議会で4路線54.48kmの路線が決定
3号線は大国町〜玉出の3.72km
1942(昭和17)年05月10日 大国町〜花園町間開業(単線)
1両運転
1948(昭和23)年04月03日 複線運転開始
1948(昭和23)年06月18日 大阪市高速度鉄道協議会第2回総会で高速鉄道5路線76.93km決定
3号線は大国町〜大浜の9.54km
1956(昭和31)年06月01日 花園町〜岸里間開業
1958(昭和33)年05月31日 岸里〜玉出間開業
1959(昭和34)年09月01日 2両運転開始
1965(昭和40)年09月--日 玉出検車区開設
1965(昭和40)年10月01日 西梅田〜大国町間開業
4両運転開始
1969(昭和44)年12月06日 愛称が四つ橋線に決定
1971(昭和46)年06月01日 玉出駅にて自動改集札機実用試験実施
1972(昭和47)年02月--日 玉出検車区廃止
1972(昭和47)年11月09日 玉出〜住之江公園間開業
緑木町検車場開設
全線ATC・CTC化完了
1973(昭和48)年02月24日 5両運転開始
1980(昭和55)年02月25日 全列車30系車両に統一
1985(昭和60)年06月01日 緑木町検車場を緑木検車場に改称
1986(昭和61)年06月--日 緑木車両工場開設
1996(平成08)年09月--日 6両運転開始
1996(平成08)年10月25日 全列車23系車両に統一
1998(平成10)年04月01日 緑木車両工場を緑木車両管理事務所へ改称
2012(平成24)年05月--日 指令所を四つ橋線運転指令所から輸送指令所へ移転
接近放送を更新
著作権